【深掘り編】脳の”柵”(PNN)はどうやって”恐怖の記憶”を固定するのか
GABA神経とコンドロイチナーゼABCの研究から
前回の本編では、脳内の”柵”であるPNN(パルニューロナルネット)が、感情や自律神経反応のパターンを安定させる一方で、強いストレス反応も同じように固定してしまう可能性があるとお話ししました。
※まだお読みでない方は、先にこちらをご覧いただくと、今回の内容がより理解しやすくなります。
今回はその仕組みを、実際の研究データとともにもう一歩踏み込んで見ていきます。
目 次

PNNが好んで包み込む相手は、脳の中でも特にパルブアルブミン陽性のGABA神経(PV+介在ニューロン)です。
これは偶然ではありません。
GABA神経は、興奮性の神経細胞が暴走しないようにブレーキをかける「抑制性」の神経細胞で、脳全体の興奮と抑制のバランス(E/Iバランス)を保つ司令塔のような存在です。
この神経は非常に高い頻度で発火し続ける必要があるため、細胞体の周りをPNNで補強することで、
- 高頻度発火を支えるイオンチャネルの配置を固定する
- 細胞外のイオン環境を安定させ、電気的な興奮性を保つ
- 酸化ストレスなどの外部刺激から細胞体を保護する
といった、いわば”高性能エンジンを守る特別なフレーム”のような役割を果たしていると考えられています。
そしてこのGABA神経自体からの神経伝達物質(GABA)の放出量も、PNNの状態によって左右されることが分かってきました。
コンドロイチナーゼABC(ChABC)とは?
コンドロイチナーゼABCは、細菌(プロテウス菌)が持つ酵素を利用したもので、プロテオグリカンの”糖鎖部分”(コンドロイチン硫酸・デルマタン硫酸)だけを狙って切断する働きを持っています。
PNNの網目から糖鎖という”編み目”を刈り取ってしまうことで、柵そのものをほどいてしまうイメージです。
本編で触れたMMPやADAMTSが体内で日常的に働く”自前の分解酵素”であるのに対し、ChABCはあくまで研究用に人工的に投与する酵素で、私たちの体の中で自然に作られているものではありません。
研究の世界では、PNNの働きを調べるための代表的な”実験ツール”として広く使われています。
決定的な研究:扁桃体のPNNを壊すと、恐怖記憶が消える

PNNと情動記憶の関係を世界に示した代表的な研究が、Gogollaらによる2009年のScience誌の報告です。
この研究では、恐怖条件づけ(特定の音と嫌な刺激を結びつけて学習させる実験)を行ったマウスの脳の扁桃体(へんとうたい/情動の中枢)に、PNNを分解する酵素「コンドロイチナーゼABC」を注入しました。
すると、通常であれば大人になると消えにくいはずの恐怖記憶が、再び「消去(脱馴化)」されやすい状態に変わったのです。
つまりPNNは、幼少期のような柔らかい脳の状態を終わらせ、一度学習した恐怖・不安の記憶パターンを”消えにくい形”に固定することで、大人の脳の安定性を支えている構造だということが示されました。
同様の効果は海馬や前頭前野でも報告されており、PNNの分解によって記憶の定着や想起のされ方が変化することが複数の研究グループから確認されています。
メカニズムの中心にあるGABA放出量の変化

では、PNNを分解すると脳の中で具体的に何が起きているのでしょうか。
近年の研究では、ChABC処理によってPV神経の発火頻度が下がり、GABA神経からの神経伝達物質の放出(特にシナプス前終末からのGABA放出)が減少することが報告されています。
PNNという”外側の骨組み”を失うことで、GABA神経の興奮性そのものが変化し、周囲の興奮性神経細胞とのバランスが一時的に崩れる。この状態こそが、凝り固まった回路を組み替え可能にする”窓”を開いていると考えられています。
さらに別の研究グループは、PNNの分解によってBDNF(脳由来神経栄養因子)の受容体であるTRKBのリン酸化が促進されることを報告しています。
興味深いことに、抗うつ薬として知られるフルオキセチン(SSRI)も、同じTRKBのシグナル経路を活性化することで、大人の脳に子どもの脳のような可塑性を一時的に呼び戻す作用を持つことが示されています。
柵を物理的に壊す方法と、神経伝達物質のシグナルを介して柵の効果を弱める方法、性質の異なる2つのアプローチが同じ扉にたどり着く、という点は非常に興味深い知見です。

PNNを分解して可塑性を取り戻すというアプローチは、情動記憶の研究にとどまりません。
Bradburyらによる2002年のNature誌の報告では、脊髄損傷を負ったラットの損傷部位にコンドロイチナーゼABCを投与したところ、軸索の再生と運動機能の回復が促進されたことが示されています。
これは、PNNをはじめとするコンドロイチン硫酸プロテオグリカンが、損傷後の修復を妨げる”柵”としても働いてしまうケースがあることを示す、象徴的な研究のひとつです。
GABAチョコやサプリは脳に届いているのか?
「リラックス成分」としてGABA入りのチョコレートや飲料をよく見かけますが、そもそも摂取したGABAは血液脳関門(BBB)を通過して脳に届くのかという点は、実は長年議論が続いています。
1950〜80年代の古典的な研究では「GABAはBBBを通過できない」という結果が繰り返し示されてきました。GABAは電気的に偏った(極性の高い)小さな分子で、BBBは基本的にこうした水溶性の物質を通しにくい仕組みになっているためです。一方で近年、脳の血管内皮細胞にGABAを運ぶ輸送体(トランスポーター)が存在することが分かり、「ごくわずかな量であれば通過している可能性がある」とする報告も出てきました。
現時点では研究者の間でも結論が割れている、いわば”係争中”のテーマです。
では、GABA摂取後に感じる「なんとなく落ち着く」という体感には根拠がないのでしょうか。近年の研究者たちが有力視しているのは、GABAが脳に直接届かなくても、腸に存在する神経(腸管神経系)や迷走神経を介して、間接的に脳へ信号が伝わっているのではないかという仮説です。実際に動物実験では、迷走神経を切断するとGABA摂取による行動変化が消失することが報告されており、ヒトでも迷走神経刺激によって脳脊髄液中のGABA濃度が変化することが示されています。
迷走神経は自律神経の中でも副交感神経の主力を担う神経です。つまり「GABAが脳の関所を突破したかどうか」よりも、「腸から自律神経を通じて脳と対話しているかどうか」という腸−脳軸の視点で捉えたほうが、実態に近いのかもしれません。
ただし、これも研究段階の仮説であり、GABA食品の効果については個人差も大きく、明確な結論が出ているわけではない点には留意が必要です。
柵は敵でも味方でもない、”調整対象”

ここまでの研究を俯瞰すると見えてくるのは、PNNそのものが「悪者」なのではなく、柵の硬さと組み替えのバランスをどう調整するかが本質だということです。
柵が学習や記憶を安定させてくれるおかげで、私たちは同じ失敗を繰り返さずに済む
しかし柵が固まりすぎると、本来は手放してよいはずの恐怖・不安の反応パターンまで居座り続けてしまう
自律神経の乱れが長引いている方の背景には、こうした脳内の”柵の固着”が一因として関わっている可能性があります。
だからこそ、セルフケアで代謝バランスを整えることと、専門的なアプローチで神経系の緊張そのものを緩めることの両輪が意味を持ってきます。
セルフケア(土台づくり)
- 十分な睡眠:
PNNの代謝や神経回路のメンテナンスは睡眠中に活発に行われると考えられています - 抗酸化的な食生活:
酸化ストレスはECM分解酵素の働きに影響を与えるため、栄養バランスが土台になります - 新しい体験・適度な運動:
神経の可塑性を促す刺激は、柵の適度な組み替えを後押しします
専門的なケア
慢性的にストレス反応が固定化し、自律神経の切り替えがうまくいかない状態には、脳活セロトニン調律整体による自律神経への直接的なアプローチが力を発揮します。
神経系そのものの緊張を緩めることで、凝り固まった反応パターンに変化のきっかけを作ります。
誠巧整骨院の脳活セロトニン調律整体では、自律神経の働きを整えることで、体全体のバランスを取り戻すサポートをしています。
🔹 脳活セロトニン調律整体が担う役割
当院の脳活セロトニン調律整体は、過緊張した交感神経の働きを整え、自律神経のバランスを取り戻すことを目的とした施術です。
この施術が目指しているのは、単に「リラックスする」ということだけではありません。
🔹 内側の代謝環境を整えるケア―自律神経のバランスを整えることで、血管調節などの仕組みそのものが働きやすい状態をつくる
🔹生活習慣のアドバイス
当院は「体を整える場所」であると同時に、生活習慣全体を見直すパートナーでもあります。運動・睡眠・食事(栄養)について、専門家の視点からアドバイスを受けることができます。
次回予告
次回は視点を脳から血管へと移し、自律神経の指令を実際に受け取る「血管壁」のプロテオグリカン、ビグリカンとバーシカンについて掘り下げていきます。
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参考文献
・Gogolla N, Caroni P, Lüthi A, Herry C. (2009) Perineuronal nets protect fear memories from erasure. Science, 325(5945), 1258-1261.
・Chu P, et al. (2018) The impact of perineuronal net digestion using chondroitinase ABC on the intrinsic physiology of cortical neurons. Neuroscience, 388, 23-35.
・Carulli D, et al. Chondroitinase and antidepressants promote plasticity by releasing TRKB from dephosphorylating control of PTPσ in parvalbumin neurons. eLife / bioRxiv.
・Bradbury EJ, Moon LDF, Popat RJ, et al. (2002) Chondroitinase ABC promotes functional recovery after spinal cord injury. Nature, 416, 636-640.











